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コロナ禍で地方暮らし、5つの幸運

はじめに・・・時代が追いついてきた!

田舎暮らしはそんなに甘いものではありません。挫折する方も多い。そして地元出身の若者たち(田舎では60歳以下は若者です)、ここから逃れたい。いつもそう思ってきました。

理由は、人間関係の濃すぎる。美味しいお店がない。仕事が見つからない。映画・お店・バーなど遊び場が少ない。などです。

でも考えてみてください。コロナ禍で、一気に地方の課題が解消されています! 地方で燻っていた自分のような人間にようやく時代が追いついてきたのです。

1. ネット環境への理解が進んだ

地方暮らしのネックはネット環境でした。WiFi環境が多くの施設で整ってきました。ノマドできるワークスペースやカフェがコロナ禍でも地域にどんどんできています。

そして何より、体質の古かった企業や、地域の人たち誰もがZoom会議が当たり前になりました。お年寄りでもLINEくらいはできる時代になってきました。

2. 素敵な店にドアtoドアで行かれる

地方の特権がコロナ禍で最大化されています。車があればドアtoドアで郊外の素敵な店に行かれます。風光明媚な場所にカフェが増えました。コロナ禍で地方だからこそ、行政の発表に素直に従う店がほとんどで、コロナ対策は万全です。2回のワクチン摂取率も長野県は80%を超えています

スーパーだって車で大量に買い込める大型店が多い。道の駅や農産物直売所では、遠方の観光客に邪魔されず、新鮮な野菜をいつでも手に入れることができます。必要なDIY専門店や家具チェーン店も品揃えが充実。駐車場は全て「ただ」なのが地方では当たり前です!

3. 人との距離が空いて住みやすくなった

地方の欠点は人と人との距離が近すぎること。人の家のことに干渉したり、勝手に玄関先に野菜が届きます。地区の役員に声がかかり、行事をやらされます。もちろん、これらは大事なことですので否定はしません。仕事と生活に追われるなかでの人との付き合いは、なんとなく気が重くなります。

しかし、コロナ禍で役員の役割の軽減化、そして行事の簡略化が進みました。会議もなくなるか短時間で済まされるようになりました。願ったり叶ったりです(笑)。家で仕事をする人に対して、偏見を持たれることもなくなりました(苦笑)。

一方で、辛い時に声がけしてもらえるとか、行事に参加することで、自分の存在価値が認められる。そんないい距離感なのが、今の地方の生活かなと思います。

4.より美しい自然を楽しめる

コロナ禍とSDGsの影響からか、交通量も減り、観光客が激減。自然への負荷が軽減されています。朝早く起きて散歩すると、その空の美しさに驚きます。確実にここ数年、空や山の美しさが増していると感じています。

休みをとってどこかにわざわざ出かける必要はありません。毎日が観光です。ちょっと歩けば由緒ある神社があります。美術博物館も日本で一番多いのが長野県です。日常自体が自然の博物館にいるような気分にさせられます。

空気もよく、スポーツクラブに通わなくても、有酸素運動は十分できます。コロナのおかげで戸外でそうたくさんの人には会いませんしね。スキー場も空いています。

5.自分の存在価値が上がる

地方にいると、自分の存在価値が大きくなった気がします。1500万人の都会で小さな1つの点でしかなかった自分に比べ、長野市は30万人。広い土地のなかで50倍も自分の存在価値が上がります。

少し勇気を出して繋がれば、気の合う仲間が見えてきます。情報を共有しやすく、いろんな人の顔が見えます。

移住者も増えていますし、フリーランスも多くなり、情報収集やイベント開催もやりやすい。何をやっても、地に足がついている感じがします。

さいごに・・・快適な環境で自由に楽しく生きる

秋冬が大好きな信州の母さんです。暑い場所には住めません。年齢と共に寒すぎる場所にも無理です。となると信州は最適な場所です。食べ物も美味しく、空気も水も綺麗。何より景色が素晴らしい。人々は勤勉で、誠実で、約束を守ります。

コロナ禍が功を奏して、オンラインでメジャーになった友人がいます。「長野での仕事の誠実なやり方は日本どこでも、世界でも通用する」と話しています。コロナ禍だからこそオンライン化が進み、都会との情報の格差も薄れ、距離という障壁が薄れました。

「地方で、快適な環境で自由に生きて楽しく働く」。そんなイメージがコロナ禍で際立つ時代になってきました。

動画での説明はこちらから!

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