【インド・ラダック訪問記】富士山より高い?!ヒマラヤの地で「幸せ」の真髄を見た!
インドの北部、ヒマラヤ山脈の西端に位置する人口30万人弱のラダックを訪ねました。インドにありながらも、自給自足、地域教育、伝統文化・伝統医療の保護、地域コミュニティー維持など、千年にわたって実現してきた幸せな暮らしを保とうとする地として世界的に注目されています。
※初出/長野市民新聞で2025年10月から、毎月6回にわたって執筆・掲載した記事を編集して再掲載しました。
標高3500メートルのヒマラヤの地
主要都市レーは標高3500メートル。羽田からデリー経由で向かう途中、上空から眺める一帯の景色は、まるで高山の砂漠。緑のないダイナミックな地層がむき出しとなった山々が延々と四方に広がります。その背後に、真夏でも雪をいただく6千メートル級の高峰が数多くそびえ、雲の合間に見え隠れしていました。中央をインダス川が悠然と流れ、沿岸を中心に緑が広がり、町や村が形成されています。

外国人観光客に門を開いて50年。直後に足を踏み入れた言語学者で活動家のヘレナ・ノーバーク・ホッジさんによると「廃棄物も汚染もなく、犯罪は事実上存在せず、地域共同体は健全で結束力が強く、十代の少年が母親や祖母に優しく愛情深く接する」そんな幸せな地域だったとのこと。著書『懐かしい未来』にはその詳細が描かれています。
50年を経た今、グローバル化の流入で社会に何が起きているのかを見届けたい。そして今も残るSDGs実現にヒントとなる仕組みや伝統文化に触れたい、そう考えた訪問です。



旅のもう一つの目的は、ヘレナさん率いるNGOローカル・フューチャーズがこの地で企画した「プラネット・ローカル・サミット」への参加です。世界25カ国から様々な分野の活動家が延べ500名近く参集。
日本からは、筆者が参加したスタディ・ツアーの企画元「ナマケモノ倶楽部」代表の辻信一さんが登壇しました。前回のサミットは英国ブリストルで開催され、映画「クローサー・トゥー・ホーム」としてユーチューブで公開されています。
ツアーは10名ほどの参加者で、現地のNGO「ジュレー・ラダック」の代表スカルマさんがコーディネートし、辻さんと共に通訳も提供する特別企画。 さて、1日目から高山病に悩まされつつ、レー空港から車で20分ほどの古村、シェイ村へと向かい、まず体を慣らしました。
神と仏、シャーマニズムの混交
レーの南東12キロほどに位置するシェイ村、ここは古代ラダック大国の最初の首都でした。ラダックはチベット仏教が息づく聖地。年に一度、シェイ村で開催される盛大な収穫祭「シェイ・シュプラ祭礼」の2日目に立ち会うことができました。
シェイ王宮の膝下、シェイ僧院ラカン(神堂)へ歩いて向かいました。この収穫祭は、主食である大麦の収穫開始を意味します。また、16世紀の王家が女神ドルジェ・チモをシェイ村に連れてきたという伝説に基づく儀式が行われているのです。シャーマン(ラバ)と呼ばれる、神と交信する人物がラカンにこもり、守護尊ドルジェ・チモの憑依を待ちます。
村人の男性たちは、太鼓や笛を奏で、自前のチャン(大麦を発酵させ作るビール)を持ち僧院の2階に上り、シャーマンの憑依を待ちます。女性たちは大きな花束を抱え、神を祝福し祭りを盛り上げます。

突然、鮮やかな衣装を纏ったシャーマンが2階の回廊まで飛び出してきて、狂ったように踊り、酒を飲み、その酒を歓喜する村人たちに浴びせかけます。そして、回廊の縁に飛び乗ると、体をくねらせながら身軽に駆け抜けたのです。村人たちは、我も我もと近づこうとします。
神が憑依したシャーマンに触れた酒は、日本でいう御供(ごく)。階下に集まった人々にその酒を振る舞います。ちょっぴり酸っぱくて、日本の米麹のような発酵した風味がしました。民衆はそれを口に含み額に付け、神に感謝するのです。また自家製のバターやパバ(大麦粉を練って茹でたもの)も振る舞われていました。
シャーマンは白馬にまたがり、数百の村人たちに囲まれシェイ王宮へと進んでいきます。王宮で村人たちの奏でる太鼓や笛の迫力ある音色に合わせ、シャーマンの身体を借りて踊り続ける女神ドルジェ・チモ。人々の想いを乗せた歓喜の声が標高3千500メートルの空に高く轟き渡りました。



神と仏、シャーマニズムの混交。そして、ラダックには、古代ラダック王国であった頃の王の力が今でも宿っています。そして千年にわたってこの地を守り続ける守護尊ドルジェ・チモの6年ぶりの降臨により、村人たちは歓喜し、間もなく訪れる冬へ向け、大切な食糧である麦の刈り取り作業に取り掛かるのです。
村の暮らしは大学だ
「家畜も土地もなく、麦や米を作っているわけでもない、あなたたちは一体どうやって食べているのか」
3日目に滞在した村の長老から、浴びせられたこの言葉に、思わず言葉を詰まらせました。
シャラ村は、レー市内から車で1時間半ほど南下した標高約3700メートル、約180世帯、人口600人の村です。一つの家庭に2日間滞在しました。風呂はなく、トイレはいわゆる「ぼっとん便所」で、農業用肥料として使われます。



すべての家族が大麦を育て、水車を使い一つの精粉所を共有していました。ヤクと牛を掛け合わせた「ゾウ」が土地を耕し、牛の乳は自家製のバターやヨーグルト、チーズにします。夏は4カ月しかないため野菜は干して保存し、冬には湯で戻してカレーやすいとん、炒め物の具として活用します。大麦を炒ったものや杏仁などの木の実、自家製ドライフルーツは貴重なおやつです。炭水化物、タンパク質、ビタミン類、繊維類など年間を通して摂取できる豊かな食と、無駄のない循環型の仕組みが出来上がっています。
病院はありませんが、チベットの伝統医術者「アムチ」が存在します。世襲制で、この村唯一の27代目のアムチに話を聞きました。グローバル化で西洋医学が主流となり激減したものの、今はインド政府が見直し大病院にも配置しているとのこと。かつては無償治療の代わりに、村みんなでその生活を支えていたそうです。

午後、村人たちが屋外で交流会を企画してくれました。バター茶やチャイ、大麦のクッキーが出され、一人一人家族の紹介をします。そして民族舞踊を披露。踊る女性たちの笑顔が眩しかった。夕食も振る舞われ、交流は夜まで続きました。
大人も子どももみんなで働き、食べて、踊って、語り合う。朝晩には各家の仏間で「生きとし生けるものすべてが幸せでありますように」と唱えお釈迦様に手を合わせます。
グローバル化のあおりを受けつつも、村では伝統文化や精神性が脈々と受け継がれていました。
後日、インタビューしたラダックの映画監督スタンジンさんの、「虫を殺してはいけない。鳥が来なくなり、食物が育たなくなれば、私たちは暮らせない。虫は我々の一部なのだと、幼い頃羊飼いの父が村で教えてくれた。村自体が大学だ」との言葉に、この村での体験を重ねました。
パシュミナヤギの放牧を継承
滞在5日目。ホームステイをしたシェラ村からさらに車で、1時間ほどのキュンギャム村を訪ねました。プラネット・ローカル・サミットで話題になっていた、21歳の羊飼いツェリン・ラドルさん(21歳)に会うために、険しい山道を車で一気に登ります。ヒマラヤの氷河に近い標高4300メートルの村は、雪を頂いた山々を背景に谷間を流れる川の流れと、その周りにしげる緑と青々とした作物が育つ畑、そして石積みの家々の周りには、家畜小屋がありヤギたちの声が響く、美しい村でした。

ラドルさんは、高校生の時に家族でコロナ禍にあって祖先が住んでいたこの村に移住。パシュミナヤギという種類の家畜たちと1年を過ごします。「最初はあまり関心がなかったが、彼らを放牧し出産に立ち会い心動かされた」と言います。
その後3年間、インド本土の大学で商学を学び、2024年に戻ってきます。「久しぶりに放牧に出ると、自分に何が起きたのかわからないほど、山羊たちに惹かれた」と、目を輝かせます。ユキヒョウに子ヤギが食べられてしまい、うつになる母ヤギの話や、迷子になった子ヤギが3日間探して戻ってきた話など、目を潤ませ説明します。
「ヤギたちは私にとって家族」という彼女。現在飼っている130頭のヤギすべてを見分けられるとのこと。「羊飼い」という仕事に対する決意の根底には、山羊たちや自然、村への愛がありました。「どう生きていいかわからない若者たちが働ける場にできれば」と、学んだ知識を活かし地域の大麦の粉の商品化を行い、パシュミナの毛を使った製品の開発を計画中とのこと。




今、では、若者たちはインド政府が推進するIT技術などを学ぶため、一律の教育を受けされられることで地域への帰属意識が希薄化し、精神病に苦しむ子が増えてきた旨の説明が、サミット登壇者から数多く聞かれました。古い時代のままの牧畜では過酷な仕事に対して収入が伴わず、若者たちの村離れが加速し、村が消滅しているとも聞きました。
氷河が溶けて流れる川のそばに湧き出した温泉で足湯をしながら、採れたてのニンジンやダイコンをみんなで頬張りました。放牧には同行できませんでしたが、子ヒツジたちを抱き上げて可愛がる彼女の笑顔を拝みつつ、村を後にしました。
原住民の知恵が幸せを作る
ラダックはヒマラヤ山脈の一部に位置し、チベット仏教が千年にわたり人々の暮らしに息づいていて、今も多数の寺が引き継がれています。滞在6日目、最も規模の大きな寺院「へミス僧院」を訪問。渓谷の断崖にへばり付くように巨大な建物が存在し、その景色は圧巻でした。200の僧院と1000人の僧がその傘下にあると言われています。

チベット仏教は密教といわれ、僧師から弟子へとその真理が伝えられているとのこと。各寺院には、代々生まれ替わり引き継がれる「リンポチェ」と呼ばれる高僧が存在します。ダライ・ラマ14世がチベット仏教の最高僧として、その写真が各所に飾られていました。
夕方には、ラダックの仏教大学学長で僧侶のゲシェ・コンチュク・ワンドゥ教授に、「本当の幸せとは何か」を主なテーマにインタビューしました。
「幸せ」には「肉体的な幸せ」と「精神的な幸せ」の2種類があると説きます。欧米や日本などの先進国は発展の過程で、心の幸せを無視し、体が感じる幸せのみに集中してきたために、若者の間にうつ病や自殺などさまざまな課題が起きてしまった。人々はそのことに気づいたからこそ、今、ローカリゼーション社会に戻ろうとしているのではないかと指摘。これは今回の旅で筆者が参加したサミットのテーマでもありました。


最後にダライ・ラマが関わった絵本「JOY」(喜びの小さな本)を紹介。喜びは家族や友達、近所などたくさんの人と分かち合えば広がり、やがて世界みんなが幸せになる。という物語に心あらわれました。
翌7日目のプラネット・ローカル・サミット最終日には、ラダックの教育改革の立役者ソナム・ワンチュックさんの講演を聞きました。テーマは「Cleverness(賢さ)とWisdom(知恵)」。賢さとは、知的好奇心に基づいて頭脳を使って創造すること。知恵とは、未来のためにどう行動したらいいかを見通し、ものごとを多角的にとらえる視点だと説明。 先住民の文化で受け継がれてきた知恵が、幸福への道筋を示してくれる。これからの社会は、新しい教育の土台が必要であり、ラダックをはじめ世界各地の先住民族の文化そのものがその土台になる。そして小さな活動が集まり、連携することが、明日への希望へとつながると参加者に呼びかけました。




懐かしい未来とは
インド・ラダック滞在8日目は、活動の最終日。「プラネット・ローカル・サミットは25カ国の人々が参加し、互いに出会い、学び合いができ、成功裏に終わった」と話すのは、主催者代表のヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん。私たちのグループだけで彼女の特別セッションを開催しました。

「ヒマラヤに囲まれた高地の厳しい寒さの中で、ラダックの人たちは、自らその生活の場を作りだし、精神的にも身体的にもハイレベルな健康を実現してきた」と説明します。100年前に来た宣教師たちの記録にも、みんな親切で幸せに生きていて、女性の地位も高いと書かれていたそうです。
ところが、今から50年ほど前、外国に門が開かれたことと、インドの領地として中央集権的な教育がスタートしたことにより、グローバル化の波が一気に押し寄せます。地域の文化を無視した教育により落第し心病むなど、多くの子どもたちが窮地に陥ったのです。
活動家のソナム・ワンチュックさんたちが立ち上がり、1988年にオルタナティブスクール「セクモール」を設立。ワンチュックさんは、電力や暖房の全てを太陽エネルギーが賄う仕組みを発明し、「地域に根ざした新しい学びの場」を作りました。
「この学校が、まさに近代化という今のやり方とは違う方法が可能であることを証明している。教育だけでなく、エネルギーも中央に依存しない、地方分散・地域自立型を実現した事例」と、ヘレナさんは、この学校の素晴らしさを解説します。






そして、まとめとして、「ホリスティックとローカルが大事なキーワード」と言及。ホリスティックは社会全体の仕組み、つまり全体像を把握すること。一方、ローカルは私たちが生きる小さな場所でありコミュニティのことです。
「全体とローカル、その構造のバランスを理解すること。ローカルは全体につながっていることを理解してほしい」と訴えました。 最後に日本についても触れました。「先進国でありながら、西洋が失ったものをまだ持っている国。戦後、日本はアメリカによってハイテク工場にされてしまい、勤勉で働きすぎの国民になった。でも今、ローカリゼーションに目を向ければ、そんなに働かなくても、もっとずっと幸せになることができる」と結びました。


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